源慶院の文化財
源慶院の由来を記したもので、天正年間に里見義弘の娘によって創建された事が判る。その後元禄大地震、関東大震災など幾多の変遷を経て、昭和7(1932)年に檀信徒を中心に本堂・庫裏を再建し、昭和12年に完成した事を記してある。とくに再建の功徳をあまねく一切に及ぼす事を祈念してこの石塔が建てられたものであると記されている。
これは仏や使者への供養を目的に、法華経を一個の小石に一文字ずつ書いて埋納した上に建てた石塔である。手間が掛かるので強く功徳が信じられた。大乗というのは他者救済を重視し多くの人々を悟りに導く事を言う。享保年間(1716~36)に当寺八世応海が石書した法華経を埋めた場所の上に、元治元(1864)年になって時の住職泰雲が渡辺半右衛門・吉田作右衛門らを中心に、当地区の曹洞宗寺院六ヶ寺や檀信徒の協力でこの塔が建立された。石工は楠見の田原長左衛門である。
像高60cmの石造地蔵菩薩立像で、台座の正面に「七難即滅・厄除地蔵」、右側面に「一字一石書写延命地蔵菩薩経」と刻まれている。地蔵菩薩経を石に書き写してここに埋納したのだろう。この地蔵菩薩は、昭和7(1932)年9月吉日に本堂再建入仏記念として建立された。
里見義弘の長女で当寺の開基とされる佐與姫の供養塔である。住職墓域の奥にある。法名は源慶院殿一法貞心大姉といい、天正7(1579)年5月15日没とされている。
嘉永6(1853)年に建立された四脚門である。当初は萱葺の屋根だったが、大正12(1923)年の関東大震災で損壊した後に瓦に直し、近年の改修で銅葺となった。彫刻は鶏と竹を表裏に彫り分けた欄間や兎の作品であるが、作者は不明である。