源慶院の文化財

小池敏学の供養塔

宝暦12(1762)年生まれで、静岡県藤枝市にあった田中藩の柔術・棒術の師範。文政4(1821)年に没し、藤枝の源昌寺に葬られた。明治元年に田中藩が安房長尾に入封した時、子孫が北条へ移住し、明治19(1886)年に小池房右衛門が先祖の墓と共に供養塔を建立した。敏学は門人141人にも及ぶといい、小池家の中興とされた人物。

日露戦役戦没将士の墓

海軍二等水兵石井清次郎の墓。明治14(1881)年に安布里村に生まれ、34年に志願して呉鎮守府海兵団に入営、37(1904)年2月に日露戦役に出征し、中国で三度旅順攻撃に参加した。不幸にも病にかかり舞鶴に戻ったが6月に病死してしまう。24歳。明治39年にこの碑が建立された。

忍(おし)藩士家族の墓

幕末に幕府の命令によって、異国船が出没する東京湾の海岸警備を命じられた武州忍藩(埼玉県行田市)から藩士達が館山周辺へやってきた。ここの墓地には派遣期間中の1842年から1853年までの間に亡くなった藩士の家族の墓が2基ある。後藤伍八重郷の母と内藤弥学昌幹の伯父で、共に嘉永3(1850)年に没している。藩士が家族と共なって赴任してきた事がわかる。

白山妙理大権現

岩窟の中に、昭和のはじめに造立された白山様と呼ばれる石宮があり、「白山大権現」を祀っている。曹洞宗大本山永平寺(福井県)ではこの神を鎮守としており、曹洞宗寺院ではこれに倣って白山大権現を守護神として祀ることが多い。白山は岐阜・石川両県にまたがる日本三大霊山の一つで、毎年山開きには永平寺の修行僧が「白山妙理大権現・仏法大統領」を唱えながら登山する。

白土坑

参道にある延命地蔵尊の手前に、昭和初期まで白土(はくど)を採掘していたという洞穴がある。地元ではここを白土坑と呼んでいた。白土は食器洗いや歯磨き粉などに利用されていた生活必需品で、明治時代から昭和25年頃まで盛んに採掘されていた。房州砂と呼ばれるほど安房地方の有力な産業の一つだった。真倉から豊房、山本にかけて多い。現在では福井県鯖江市でメガネフレームの研磨に使用されている。

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